トップ > Webleaf > 箕島七〇年史 > 嬉しなつかし明治のチラシ「引き札」展示
嬉しなつかし明治のチラシ「引き札」展示公開 有田郡箕島町

嬉しなつかし明治のチラシ「引き札」展示公開
今から遡ることおよそ100年前の有田郡箕島町(明治時代)の引き札をご覧頂けます。
この大変貴重な作品のウェブ展示会は箕島懐旧会様のご協力により実現いたしました。心より御礼申し上げます。
※ 機種によっては読み込みに時間が掛かる場合があります。画面内の画像が読み込まれてから操作を行ってください。
Youtubeに動画版を公開いたしました(2015.01.28)
(動画版)https://www.youtube.com/watch?v=jxMnAlHVjJM
引き札(ひきふだ)とは?
引き札 、または 引札 (ひきふだ)は、江戸、明治、大正時代にかけて、商店、問屋、仲買、製造販売元などの宣伝のために作られた広告チラシで、広告の歴史資料としてだけでなく、独特の色合いと大胆な図柄で、各地で博物館に所蔵されたり、収集家がおり、展覧会も開かれる今では美術的価値もある印刷物である。
初期の引き札は一色か二色であったが、色鮮やかな引き札は、浮世絵の衰退期に、文明開化で商業活動が盛んになったのに合わせて、日本の木版、石版、銅版、活版印刷の発展とともに大量に作られた、商店のチラシ、折り込み広告、手配りのビラ、景品、付録などの印刷物である。商品の広告だけでなく、開店、改装のお祝い、得意先配り、街頭配りなどにも使われた。 浮世絵に次ぐ手作りの風合いを持った最後の一般印刷物で、また近代広告の元祖である。広告キャッチコピーの先駆けでもある。今では美術品として扱われ、また当時の時代的資料の価値もある。当時商店が扱った衣食住、日用品や産業だけでなく、絵に描かれた出始めの電話、電柱、自動車、電車、飛行機などの歴史資料も見られる。たとえば煙草の銘柄だと、敷島、大和、山桜、スター、チェリー、ヒーローなどとある。江戸東京、大阪、京都など当時の都市圏のほか、全国に広がった。サイズは浮世絵より小さいもの、大きいものいろいろである。家の壁や襖、銭湯に貼ったりもした。
13世紀に一遍上人が「南無阿弥陀仏」の札を出したとあるが、天和3年に越後屋が呉服の宣伝に「現金安売り掛け値なし」という引き札を十里四方に出したのが引き札の始まりと言われる。裕福な大名、武士が年に1、2回まとめて払う掛け値売りが大店舗では普通で、これを交渉値引き掛け売りがなく、現金取引の正札売りにしたのが、大いにあたった。同業者の反発に幕府の検閲も入ったが、井原西鶴はこれを大商人の手引きと引用した。来客に酒や割引券を進呈するなどの文句も話題になった。その後、平賀源内が1769年(明和6年)に知人の依頼で歯磨き粉の引き札を作ったのが有名になった他、多くの作家が引き札を作成し、話題になった。 明治、大正期には、浮世絵の伝統も残っており、機械木版刷り、石版摺りなどの導入で、手作りの味を残しながら、大量に印刷できる色鮮やかな引き札が登場し、現在引き札というと多く各地に現存するこの時代のものを思い浮かべる。 引き札の語源は、「お客を引く」、「引き付ける」、「配る」(配るを引くと言った)から来ているという諸説ある。当初は、札回し、安売り目録書き、口上書、書付、挿広告とも呼ばれた。江戸時代には何十万枚と出されたという記録があり、安政3年には松坂屋が5,500枚出したとある。ひろめ屋が配ったりもした。チラシの語源は、大阪で引き札をまき散らすから来ているという。 明治5年に東京日日新聞から新聞附録で使われ、のちに新聞広告の隆盛とともに取って代わられた。(Wikipedia)