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浄妙寺(じょうみょうじ)

浄妙寺は、和歌山県有田市にある臨済宗妙心寺派の仏教寺院。山号は醫王山。本尊は薬師如来である。山の中腹にある境内には、本堂(薬師堂)や多宝塔など中世の建築物が現存する。

浄妙寺多宝塔 最古の写真

歴史

寺伝では大同元年(806年)、平城天皇の母藤原乙牟漏の発願により、鑑真の弟子の唐僧・如宝が創建したとされる。なお、乙牟漏は延暦9年(790年)に没しており、寺伝の通りとしても、創建までには相当の年数を要したことになる。

天正13年(1585年)豊臣秀吉の兵火を受け、山中にあった薬師堂(現在の本堂)と多宝塔を残して全ての堂宇を焼失した。以後長らく荒廃していたものを正保4年(1647年)に紀州藩初代藩主徳川頼宣が再興した。

探訪

伝によると大同元年(806)平城天皇の御母乙牟漏皇后とも阿波の尼僧西阿弥の建立ともいわれています。開山は唐僧如宝和尚といわれ、もとは七堂伽藍の名刹であったらしく、嘉応元年(1169)に宮崎定範がこ2地方を領してから70石の寺領を受けています。

それが天正13年(1585)の兵乱によって、堂舎及び縁起など焼けましたが、薬師堂と多宝塔だけは密林の中にあったため、兵火を免れることが出来ました。この寺には文化財が多く、薬師堂と多宝塔は建造物として、薬師堂に安置されている木造薬師如来、両脇侍像、木造12神将立像は彫刻物として、蓮華唐草文螺鈿須弥壇は工芸品として、それぞれ国指定の重要文化財となっています。(引用元:Wikipedia)

 

木造薬師如来両脇侍像

木造薬師如来坐像及び両脇侍立像

鎌倉時代中期の作。三尊は寄木造り。漆箔、玉眼嵌入の像で矧目の損傷、金箔は後補の部分もあり、脇侍の天衣や持物等に欠損補作の個所もあるが、両手両足先・中尊の持物等は像と同時の製作である。
(重要文化財/工芸品)

 

須弥壇(しゅみだん)

須弥壇(しゅみだん)

1897年12月28日に蓮華唐草文螺鈿須弥壇(れんげからくさもんらでんしゅみだん)
(重要文化財/美術品)
 

箕島町発行の絵葉書

箕島町発行の絵葉書 昭和10年頃に箕島町から発行された絵葉書に浄妙寺の多宝塔が掲載されています。
浄妙寺の多宝塔
 
箕島町発行の絵葉書 浄妙寺

施設

 

 

フォトギャラリー

 

 

 

交通アクセス

和歌山県有田市宮崎町1000

住職のコメント

住職イメージ

多宝塔などの重要文化財はもちろん、高台に位置しているので天気の良いときなど淡路島が見渡せますので景観も楽しんで下さい。

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